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このたび 別ブログに掲載していた劇評もこちらにまとめました
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扇田昭彦さん追悼
JUGEMテーマ:演劇・舞台


一言で言えば、「こんな人になりたい」という人でした。

扇田先生はもともと朝日新聞の記者で
たまたま、芸能関係の部署に配属されて
演劇が好きだったこともあり、取材をしたり批評を書いたりされるようになりました。
当時(たぶんもう40年以上前)のことですから、今のように情報がすぐ得られるわけではないし
テレビ放送も無い。
扇田先生はたくさんの舞台に足を運ばれました。
その中で、唐十郎、野田秀樹という才能を目にし、
当時異端と見られていた彼らの作品を、正当に評価しました。
扇田先生というのは、そういう「新しい才能」が大好きでした。
もう少し最近では、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんや、松尾スズキさんも評価していた。
驚くべきは、奇をてらったものが好きだったわけではなく、
ちゃんと力がある若手を見抜いていたこと。
その証拠に、彼らは今、みんな日本の演劇界の実力者となっています。
そうかと思えば蜷川幸雄さん、井上ひさしさんといった巨匠に対しても
同じように接し、公平な評価をされていました。
あのやわらかな風貌からはなかなか想像できませんが、あれでけっこう武闘派で(笑)
ダメなものはダメと(自分で思ったら)書いて発表したりするので
蜷川さんと大ゲンカしたり、出入り禁止だったかな?そんなこと言われたりして。


扇田先生の強味(と私が思うところ)は
たくさんの演劇をじかにその目で見られてきているところです。
当時の劇場の雰囲気はもちろん、作品に与えた当時の社会の様子を、その目で見て来ている。そこで生きて来ている。
それをたくさんの記録に残しています。
さらに、現在は現在の作品の評価、現代社会におけるその作品の意義づけなどを
時代に則し、いつも冷静な目線で書かれていました。

たくさんの経験と豊富な知識。
おだやかで知的な風貌。
誰にでもわけ隔てなく接する態度。
私のような者にも、怪訝な目線を向けることなど一度も無く
まるで旧知の友人のように接してくれました。
それでいて、評価は冷静で厳しい。
劇評を見ていただいた時にも、どの部分が良くて、どこが悪いか、足りないか
きちんと厳しく説明してくださいました。

私は扇田先生のようになりたかった。
たくさんの舞台を見て、それをなるべく記録して
新しい人や新しい作品が出れば、それに対して正しい評価をして、将来を期待する。
そういう演劇人でありたいと思いました。
劇評を書く時にも、誰が読んでもわかりやすく、おもしろく
その舞台 見てみたいな、と思えるようなものを書きたい、
それでいてきちんと、演劇の情報やその舞台の意義も記したい。
そう考えながら書くように心がけていました。

私も子育てや他のことが忙しくなって、ずっと劇評を書いているわけにもいかなくなったり
福岡の演劇シーンも盛り上がるどころかやや低迷気味であったりして
ここ最近は演劇の勉強は怠けていたと言わざるをえません。

そんな中で、このようなブログを書いてもいるのですが
ブログを書くにあたっても、いつも私の文章の基本は
扇田先生に教えていただいたことでした。

読んでおもしろいように。わかりやすい文章であるように。
おもしろそうだから私も見てみようと、読者の人に思ってもらえるように。
批判的はものは書かない。努力していることを否定しない。
新しい才能、新しい世界を見つけたら、それが本当に価値あるものかどうか見極める。
価値あるものであったら、信念をもってそれを紹介する。
つまり、自分の審美眼を信じる。

私が芸術に接する時の基準、文章を書くときの基準は
すべて扇田先生から学んだことだと言っても過言ではありません。
ちゃんとした劇評を書く時にも、別に先生に見せるのではないですが
迷った時には「これを読んだら先生はなんと言うだろう」「先生だったらどんな書き方、持って行き方をするだろう」と
そこへ立ち戻りながら書いていました。

私の心の支え。私の基準であり、目標でした。


扇田先生には数回教えていただいただけで、とても「弟子」「生徒」などと言える立場ではないのですが
私は(何度も言っていますが)勝手に「心の師」としていました。
その先生が亡くなった今
私はどうしたらいいのか。


こんな時に、私が好きなフィギュアスケーター町田樹さんが
「継ぐ者」というタイトルの素晴らしい作品を発表されていて
私がそれにインスパイアされているのですから、不思議なつながりだと思います。

町田さんが、作品のコンセプトとして発表した文章*の中に、こういう言葉がありました。
『人間は誰もが何らかの「継承者」と言え、
その人生を全うする過程で、
「受け継ぐ者」と「受け渡す者」の両者を経験することになるはずです。
人から人へと連なる、過去へも未来へも永遠と続く、その連綿たる連鎖の中に存在する』


私は一介の主婦にすぎませんが
扇田先生の教えを少しでも受け、それを目標にものを書いて来た者として
先生の姿勢やものの見方を、私なりに受け継ぎ、自分の人生で生かし
できる範囲で何かを残していくこと。
それが、私がしなければならないことなのだろうなと思います。

町田さんのことばが、本当に響いて来ました。
扇田先生とお知り合いになれ、教えを受けることができた幸せと意義を、
忘れずに生きていかなければならないな、
いや、"ならない" じゃない、
そうして生きていけばいいんだな、と思えました。
別に、これからすごい劇評を書くぞ!とか、先生の遺志を継いで演劇の歴史を刻むぞ!なんていう大仰なことじゃなくて
先生の教えを胸に、
自分のできることを、できる範囲でしながら、生きていこう、
私も扇田先生の教えを、ほんの少しでも「継ぐ者」の一人として、
誇らかに、がんばっていこうと思えたのでした。
(「誇らかに」は町田さんが引退された時に言った言葉です)

そして、たとえばこのブログを訪れてくれた人が
私が書いたものによって何かへの興味が広がったり、新しい世界を見つけたりしてくれることがあったら
私も何かを「受け渡す」ことになるのかもしれない。
それは演劇のことではないかもしれないけれど
扇田先生の教えによって、書いているこの文章が、何かを誰かに伝えられたのだとしたら
それでいいのかもしれない。

今、そんな風に思っています。


だから、これからも書きつづけようと思っています。
ブログも、演劇に関する文章も。



扇田先生のご冥福をお祈りします。
先生、これからもずっと私の側にいてください。
・・・というか、勝手に私の心の傍らに置かせていただきます。
これまでもそうだったように(*^^*)


*町田樹さん「継ぐ者」作品コンセプト:http://tatsuki-machida.com/skating/17_inheritor.html


   *******
 
続きで、演劇レビューを書かれている『因幡屋ブログ』さんの
扇田先生追悼記事を転載させていただきます。(自分用の記録として)
因幡屋さんの演劇レビュー、これまでもたびたび読ませていただいていました。
宮本さん、転載許可、ありがとうございます。

 

演劇評論家 扇田昭彦さん逝く   (因幡屋ブログ)

2012年12月に十八代目中村勘三郎が急逝して以来、早すぎる旅立ちや、どうにも納得できないお別れが続くように感じる。翌2013年2月には十二代目団十郎、そして今年2月には十代目坂東三津五郎である。これからいよいよ芸の花を咲かせようかと思っていたところに、突然「持っていかれ」てしまい、呆然として涙も出ない。年齢がじゅうぶんならいいかというと必ずしもそうではなくて、たとえば今年4月には、中村屋を四世代にわたって支えつづけた中村小山三が94歳で先代、先々代のところへ逝ってしまった。たしかに長生きをされ、最後まで現役を貫いた大往生である。しかし、「小山三さんは、ずっといてくださる」という思い込みがあって、いなくなることが想像できなかった。無意識に考えないようにしていたのであろう。

 そして5月22日、演劇評論家の扇田昭彦さんが悪性リンパ腫で急逝された。今月中旬まで原稿を執筆しておられたが、体調不良で入院して一週間で逝ってしまわれた。信じられない、嘘でしょう。まだ74歳だというのに。

 50代60代の歌舞伎の立役者が何人も亡くなったり病気休養することがつづいて、少々無理をしても歌舞伎をみておかねばという危機感を抱くようになった。役者も生身の人間であり、「毎月やっているから」と思っていると、ほんとうに見られなくなってしまうからである。
 演劇評論家の場合、とくに扇田さんのように半世紀にわたって第一線で活躍されている人にはたくさんの著書がある。買っておいて「これはしっかり読み込んだぞ」と自信をもてるものは一冊もないから、これから一生懸命読めばいいのだが、それでも残念なのは、もう扇田さんの文章が読めないことだ。それに尽きる。専門用語をたくさん用いたり、学者のような言いまわしをせず、わかりやすい文章を書く方だった。朝日新聞という大看板であるから、その重責もあり、表現における枷、窮屈なこともあったかと察するが、扇田さんの場合、その立場を賢明に利用された(あくまでもいい意味で、ですよ念のため)と考えられる。
 朝日新聞にアングラ劇や前衛劇、小劇場の芝居の劇評が出ていることは、現場の演劇人はもちろん、観客や、あまり演劇に縁がない人であっても興味を惹かれるものであったろう。

 批評において、自分の視点をどこに置くかは非常にむずかしい問題だ。単純な好き嫌い、向き不向きではなく、とは言っても批評家も人間なのだから主観を完全に消しさることはできない。そこを好みの問題に陥らないよう、客観的な分析と考察を重ねて読み手が納得できるように導いていくニュートラルな視点が必要だ。しかしあまりに冷静に分析されるとものたりない気持ちになるのもたしかであり、扇田さんの文章には、ときおりご自身の心の動きが率直に記されていることがあった。

 たとえば今はもうない白水社の「新劇」1986年8月号は、美内すずえの演劇漫画の傑作『ガラスの仮面』の特集号であった。扇田さんは「ありうべき演劇と求めて」と題する『ガラスの仮面』論を寄稿されている。林真理子氏のエッセイがきっかけでこの漫画を読みはじめ、「あまりのおもしろさにやめられなくなり、原稿執筆を中断して、ついに二晩徹夜して」一気に読んでしまったこと、つづきの巻を買うために書店へ走り、品切れと知って、「大事な宝物を不意に目の前でとりあげられた子どものように頭に血がのぼって」、何店舗も渡り歩いたとのこと。
 またリブロポート刊『現代演劇の航海』に収録の劇評には、榊原郁恵の出世作となった『ピーターパン』が7年間の上演を経てさよなら公演を迎えたとき、「あきらめきれない!」と「メロドラマの登場人物じみた台詞を口走りかねない」ほどつらかったこと、星のきらめく夜空から、榊原郁恵のピーターパンが、ダーリング家に飛び込んでくるとき、「私の心は高揚し、目からは決まって涙がこぼれそうになる」と吐露しておられる。あの扇田さんが泣くんだな・・・。そう思うとほほ笑ましくもあり、扇田さんをここまで泣かせる『ピーターパン』の魅力をもっと知りたくなる。
 わたしはこの二つの文章がとても好きで、実を言うと自分が書くことに煮つまったとき、読みかえすことが多いものであった。目の前の舞台をどう感じたのか、まずはそれを正直に恐れずことばにしてみよう。そう思い直してまた舞台とことばに向き合ってきたのである。

 扇田昭彦さんがこの世にいないことがまだ信じられず、納得もできないが、舞台を見る、考える、書くことをあきらめないでこれからも続けていく。ときどき、いやしばしば?扇田さんの『ガラスの仮面』論や『ピーターパン』論を読みかえしながら。【終】


因幡屋ブログ:http://blog.goo.ne.jp/inabaya2005kiyoko05



 
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